

霊運院について
当山、霊運院は宝暦8年(1758年)、徳川九代将軍家重公を開基とし、八代将軍吉宗公の菩提を弔うため、徳川家特別祈祷所として創建されました。開山には放光東明禅師を迎え、当時は深川(現在の江東区)に広大な伽藍を構えておりました。
かつては桜の名所としても知られ、葛飾北斎の『市中の花 新寺の新樹』や『江戸名所図会』にその美しさが描かれるほど、江戸の人々に愛された名刹でした。
しかし、その後の道のりは平坦ではありませんでした。度重なる火災や震災、さらに戦後の東京市復興計画による区画整理の波に翻弄され、昭和30年頃、現在の東村山市(小平霊園近接)へと移転いたします。 その移転のさなか、当山は予期せぬ不遇に見舞われました。長らく住宅地の一角で、一軒家のような仮の姿のまま時を過ごすこととなりました。
約60年もの間、身動きが取れない状況でしたが、令和6年、住職の就任と共に、改めて活動を再開いたしました。再び皆様の心の拠り所となるお寺へ。霊運院は今、再建への道のりを歩んでおります。


住職 紹介
天王山 霊運院
30世住職 青蔭 鴻慈

経歴
1994年 千葉県野田市 鏡円寺次男として生まれる
2017年 東京経済大学 経済学部卒業
大本山 永平寺へ上山
2019年 永平寺を送行
札幌市養福寺にて納所
2021年 ソフトテニススクールソフテニ道場を開く
札幌市養福寺を退職
秩父市廣見寺にて納所
2023年 秩父市廣見寺を退職
株式会社 日本典礼にて就職
2024年 霊運院30世住職就任
2025年 株式会社 日本典礼退職

~Message~
かつての「新寺」を令和の「新寺」へ
当院はかつて、江戸深川にて「新寺(しんてら)」と呼ばれ徳川家祈祷所として親しまれておりました。時を経て、ここ東村山の地で、現代の暮らしに寄り添う「令和の新寺」として、新たな歴史を歩み始めます。
死生観との向き合い
私は、仏教大学の出身ではありません。幼少期からソフトテニスに没頭し、大学もテニスをするために進学しました。ひたすらにボールを追いかける学生時代でしたが、就職活動中に直面した身近な人の死が、私の人生を大きく変えました。 悲しみと虚無感を強く感じ、就職ではなく大本山永平寺への修行を決意いたしました。修行を通じて学んだことは、「仏教とは、死後のためだけにあるのではなく、今をより良く生きるための智慧である」ということです。堅くて近寄りがたい仏教のイメージを、身近で親しみやすい教えとして広めていきたいと考えております。
経験を元に開かれたお寺づくり
一度はお寺の世界を離れ、葬儀会社に勤務した経験もございます。そこで多くのご遺族と接し、多種多様な宗教観や、現代社会におけるお寺の立ち位置、そして課題を肌で感じてまいりました。 お寺離れが進む今だからこそ、お寺に人が来るのを待つのではなく、僧侶自らが社会に出て、苦しんでいる人の手助けをする。かつて当院が「新寺」と呼ばれたように、既成概念にとらわれない、誰もが利用できる開かれたお寺づくりを目指しています。
再建の道のりは平坦ではありませんが、いただいたご縁を大切に、社会から必要とされる僧侶であるよう精進してまいります。
葬儀・法事・供養の依頼について
檀家制度にとらわれない
平等なご供養をいたします。
大切な方を送る葬儀、そしてご先祖様を想う法事。 霊運院は、皆様の「供養したい」という純粋な気持ちを何よりも大切にするお寺です。
当院はかつて、徳川家の特別祈祷所として建立されました。特定のご家庭を檀家として抱える一般のお寺とは異なり、国や社会の安寧を願い、広く人々のために祈りを捧げてきたお寺です。 そのため、当院には古くからの檀家制度やしきたりがほとんどございません。
「お寺とお付き合いがない」「お布施のことが不安」「檀家になるつもりはないけれど、しっかり供養してあげたい」 そのような方にこそ、頼っていただきたいと考えております。 誠心誠意、お勤めさせていただきます。
